日記7/10-13
10/7/24 今日は朝から少しへこんだ1日だった。こちらのバスは自転車を2台乗せられるタイプなので、私はよく自転車とバスで移動している。今日もバス停でバスを待っていたら、予定よりも少し早くバスが来た。手を挙げてバスを止めて、さっき落とした手袋を広い、リュックを背負いなおしてバスに自転車を乗せようとしていた時、突然バスの運転手にクラクションを鳴らされた。特別時間がかかっているわけでもないのにとびっくりしながら自転車を乗せてバスに乗った。今度はバスカードがすぐには見つからない立ったまま探していると無言でバスが発車した。おっと危ない。無事にカードを見つけて椅子に座ったら、運転手から「バスに乗る前にもっと準備を整えておけよ」と言われた。バスの中に乗客は私だけで、腕時計を見ると11:20、バスの発車予定時刻は11:23だった。「思っていたよりもバスが早く来たから、すみませんでしたね」と返した。なんで責められているのかわからないけれど、乗客が一人だけで、しかも次の仕事に間に合うにはこのバスに乗られなくなると困る。そんな気持ちからつい最後に「sorry」と言っていた。私がもっと強そうに見える人だったら、きっとこんなこと言われたりクラクションを鳴らされたりしていないのだろうなと悲しい気持ちになる。バスの会社に連絡しようか、でもこの仕事のシフト的にこのバスに乗れないと困る身として、連絡したことで余計に嫌な対応をされたらどうしよう。でも、毎週乗るたびに嫌な経験をするかもと思いながらバスを待ちたくはない。その日、バスに乗ることが2回あった後の運転手さんたちは明るく挨拶してくれたり、自転車が乗せやすいようにバスを低くしてくれたりして、こういう人たちもいるのにな。。。
11/7/24 住んでいる街の中心部にはチャイニーズガーデンがある。ずっと横を通るたびに、中華街で見るような立派な門に、万里の長城を思い出させる波打つ壁を見て中はどんな何だろうと思っていたが、入ったことがなかった。2回くれば年間パスの元が取れると聞いて年間パスを購入して中に入ると、一瞬ダニーデンにいることを忘れるような景色が目に入ってきた。もちろん日本で見慣れている景色とも少し違うけれど、ぐぐっと近くなった感じで体から力が抜けて落ち着いた気持ちになった。ということは、普段は意識しなくてもどこかで力を入れて生活しているのだなと気づかせてくれた。一緒にいた同居人は時間があるときに時々来ると話していて、これは確かに心が落ち着いて今に戻ってこられる場所だなと感じた。アジアにルーツがあることで、見下されているなと思う経験もこちらで生活している中で何度もしているけれど、こういう景色で落ち着けるのはアジアにルーツがあってよかったなと思えた日だった。
12/7/24 朝、家を出るときに靴ひもを結んでいたら、玄関のドアの隙間に土がつもりそこに若い芽が芽吹いていることに気づいた。こんなに少しの土なのに、ここに種が届いて、そこで芽が出ている。ずっと「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が嫌いだった。自分は植物じゃなくて人間だし、置かれた場所がひどい環境だったらそんなところで咲かず、心地がよいところに移動できるはずだしそうしたいと思っていたからだ。今、アオテアロアで暮らしているのも、日本での生活に疲れる部分があったからで、もう少し違う社会を見てみたい。そこで生活してみたいと思ったからだ。ただ同時に、芽吹いたばかりの植物を見ていて、私自身も30年間日本で育ってきて、大切な人たちも慣れ親しんだ食事や場所も日本にあること、そこに根っこを張っていたのをぐぐぐっと引っ張り出してこちらで生活を作っていこうとしていることを考えた。幸い、もう何年も前から知っているように安心できる人たちに出会って一緒に生活できていることでとっても助けられている。よいしょっと移動してきたこの場所が、心地よく咲ける場所であったら良いな。
夜にスマホを見ていて、ryuchellさんが亡くなってから1年だったことを知る。去年職場でそのニュースが耳に飛び込んできたとき、すっと手先まで冷たくなるような感覚だった。今も、トランスジェンダー女性に対しての差別がある社会で、生き延びている人たちへのリスペクトと、もっと生き延びやすい社会にしていくためにできることをやっていきたい。
13/7/24 毎週土曜日、パレスチナとの連帯を表明するデモが行われている。オタゴミュージアムの隣に13時に集まって出発する。冬晴れの風が冷たい中、少し遅れそうになって早歩きで向かった。先週よりも少し多い人たちが集まっていて、風が強かったのでパレスチナの旗がはためいていた。
Gaza, Gaza, Don’t you cry, Palestine will never die.
Grand the visas, grand them all.
Bombing hospital is a crime, from Ukraine to Palestine.
Free free Palestine.
今日は、ドラムを鳴らす人も参加していて、皆のコールがより大きく感じた。
現実に起きていることは信じたくないようなことが起きているけれど、毎週のデモに参加すると今もこれだけ反対の声を上げる人たちがいること、そのつながりがあることに力づけられる。
同時に、スピーチの中で戦争が終わり日常の生活が戻ってくるまでは赤ちゃんにお腹の中にいて欲しいという妊娠中の女性の声や、石を投げたというだけで殺された子どもたちのことを聞くと、自分は土曜日のラリー以外の時間は、そのひどい現実を忘れられる特権性を持っていることにはっとさせられる。
それでも、イスラエルに加担する企業の製品をボイコットすること、寄付すること、政府に対して意見を送ること、できることはたくさんあるというのを思い出させてくれてデモの集まりは終わる。ひとりひとりの行動にはパワーがある、それを忘れたくない。