15/8/24
読んでみたいと思っていたZine が電子版が出たと知って早速購入した。
その中でもわかる〜と思ったし、こんな風に感覚をシェアしてくれる人がいるのいいなと思ったのが次の部分だ。
「そうなった時に自分の感情が友愛なのか恋愛なのかって、すごい悩んでた時期があって。その時にすごく思ったのが、何がしたいかどうなりたいかっていうのが大事で、友愛なのか恋愛なのかっていう問いそのものがもう虚構の問いだっていうこと。悩み続けてると本当に不毛だなと思って。そこにラベルをつける必要はないし、私の感情はすごく親密な関係になりたいっていう感情で、恋愛とか友愛って区別をつける必要はないっていうのをはっきり決めた時があった。それで私はすごく楽になったんだよね。この関係性はこの関係性で、恋愛でも友情としても区別する必要がない。私がその感情、特に私が思っている感情が何なのかっていうのをジャッジする必要がない。ていうのを考えた時に楽になった。」
私も大切な人をただ大切にできたらいいなぁと思うことが多々ある。でも、社会の中で色んな肩書があって自分でもその名前に縛られそうになるときがある。そんなときにこういう他の人の感覚で似た気持ちなのを見つけるとほっとする。
31歳にして世の中にはわからないことがたくさんあるけれど、わからないなりに楽しむ仲間がいるのは嬉しい。
16/8/24
クライストチャーチ滞在の最終日、Wetlandという場所にやってきた。街中からバスで揺られること30分ほどなのだけれど、数歩敷地に入ると広い空と湿地が広がっていて、鳥たちの天国みたいな場所だった。ちょっと街から離れるだけで簡単にこういう場所があるのが、アオテアロアに来ようって思った理由の1つだし、ここに住めていて良かったなぁって気持ちに簡単になれる。いい感じのベンチを見つけて、持ってきたお昼ごはんを食べようと思ったのだけれど、鴨にプケコに黒鳥がやってきて横取りされそうで怖くなった。
しばらくご飯を出せずにじっとしてると、なんだこいつご飯くれないのかってな感じで解散していった。
青々としたおいしそうな柳の枝が地面にたくさん落ちていて、家で待っているうさちゃんたちに拾って持って帰ることにする。飛行機にたくさんの枝を持って乗るのは初めてで面白い経験だった。
3/9/24
夕ご飯の後に話した周囲の人に対して共感的でいること優しさを持って接することについて、「Compassion fatigue」という見方とそれができないのは自分の鍛錬が足りないからという見方の話が頭の中に残っている。Social batteryとか人と関わることはエネルギーがいることだという考え方がなかったら、もっと楽に人と関わり続けられるんじゃないかっていう話とか。かくいう私もインスタグラムでセルフラブについて発信するアカウントをいくつかフォローしていた。たぶん前の仕事でたくさんの人と関わって何かすり減っていくような感覚があったときに見つけてフォローしたんだと思う。
9/9/24
1週間前くらいから桜が咲きだした。日本で桜は咲くとあっという間に散ってしまうイメージだったけれど、こちらでは寒いからかまだまだ長く桜を楽しめている。いつも通っていた街中が、桜が咲いたら全く違う景色にも見えてこんなに桜の木が植わっていたんだと驚かされている。
何事も無事に進めばもう1年はこの街で暮らせる予定で、とってもありがたいことだなぁって思う。今日は久々に午後がしっかり休める1日で、休みと余白のあることは必要なことなんだなと思わされる。ただ自転車で通過してしまうのではなく、桜がきれいなところで立ち止まってゆったり眺める。眺めながら日記も書きたくなって書き出してみた。去年の今頃のことは、ずっと離れた昔のような、つい最近のような、不思議な感覚がする。今、とっても幸せな暮らしをしてるなと思うと。たまにこんなに幸せだと後で失った時に余計に寂しくなるんじゃないか、寂しくなるからそんなに幸せに感じちゃいけないみたいに思う時もある。でも今こうしてほっとして暮らせていることに感謝して、ここに来ようって舵を切れた自分のことを信じてこの先もきっと大丈夫と思おう。